2016年6月16日木曜日

エピゲノムの‘遺伝’


以下の括弧(“”)で囲ったところは、太田邦史著『エピゲノムと生命』(講談社)より抜粋・引用した部分である。

生命科学の専門的な記述部分は省略し、私の関心がある部分のみ以下に引用する。

従来、親の世代の形質がこの世代にDNAのコピーとして遺伝すると考えられてきた。ところが最近になって、環境によって獲得された形質の一部が、エピゲノムの記憶を介して次世代に引き継がれることが分って来たそうである。

エピゲノム修飾の大半は、生殖細胞DNAのメチル化・脱メチル化により消去されるものの、一部何らかの理由により消去されないものがあり、それが世代を超えて子孫に伝わるということである。

これは、親の世代で受けたストレスにより、子や孫の世代で何らかの問題が生じることを意味する。ストレスにはいろいろある。例えば凶悪な罪を犯す者も、その被害を受けた者も共に精神的・肉体的ストレスを受けるだろう。その影響は子や孫の形質や精神状態に影響を及ぼすだろう。顔つきや表情にも影響があるだろう。仏教の「前世」「現世」「来世」の三世にわたる「輪廻転生」が、現代の生命科学・脳科学により明らかになりつつあるようである。

エピジェネティクスの問題を国家や社会の問題として考えることが必要である。

“エピジェネティクスに関わる目印(化学修飾)は、ヒストンだけでなく、DNAにも付けられます。メチル基がDNAに付くことを「DNAのメチル化」と言います。・・(中略)・・

ゲノム刷り込みも、エピジェネティクスのメカニズムが関わっています。特に重要なのが、DNAのメチル化です。父由来、もしくは母由来の遺伝子の制御領域のDNAのどちらかにメチル化が生じると、その領域の遺伝子発現が抑制され、これによってゲノムの刷り込みが起こります。通常DNAに結合したメチル基は、DNA複製や細胞分裂を経ても、維持型のDNAメチル化酵素のはたらきで 修飾パターンが維持されます。

ところが、哺乳類が精子や卵を作る際には、せっかく確立されたゲノム刷り込みは、一度消去さえてしまいます。つまり、「ゲノム刷り込みの消去」とは、化学的な言葉で言えば、DNAに結合したメチル基が外される「DNA脱メチル化」が起こることなのです。

エピジェネティクスでよく話題にのぼるのが、母胎で胎児が成長している際に飢饉にあうと、その子は出生後、心臓病や糖尿病、肥満や、乳癌になりやすいという報告です。つまり、一人の人間の形質に、環境要因が世代を超えて影響を与えるというのです。・・(中略)・・

もともと、エピジェネティクスは「細胞の記憶」のしくみの一つです。ですから人間の認知機能においえ重要な位置を占める「脳における記憶」にも何らかの重要な役割を果たしていると考えられます。・・(中略)・・昔の出来事などを長期間記憶する「長期記憶」は「海馬」と呼ばれる脳内の領域のはたらきを通じて確立されます。具体的には、大脳皮質の神経細胞どうしの信号伝達が長期間継続的に強まることにより、長期記憶が成立します。神経細胞の信号伝達が強化される際に特定の遺伝子が継続的に発現するようになるのでしょうが、そのような遺伝子発現パターンの固定化に、ヒストンのアセチル化などのエピゲノム制御が関係しています。・・(中略)・・

遺伝学的に見れば、子は親のDNAを受け継いでいますので、姿形や病気になりやすさなどの一部の表現型は引き継ぐことになります。しかし、親の行いによって後天的に獲得した機能や特質(たとえば筋肉トレーニングでついた隆々とした筋肉など)は、子にそのまま伝わることはふつうありません。・・(中略)・・

「獲得形質の遺伝」という考え方は、すでに過去の遺物になっています。「獲得形質は遺伝しない」という考え方は、チャールズ・ダーウィン博士の進化論以降、生物学の常識とされています。ところが最近になって環境によって獲得された形質の一部が、エピゲノムの記憶を介して次世代に引き継がれることが少しずつわかってきました。つまり、「環境」と「遺伝」は相互作用するのです。・・(中略)・・

「胎児プログラミング」という考え方が提唱せれています。母胎での成長期に栄養飢饉や化学物質の曝露を受けることで、胎児のエピゲノムに影響が生じ、出生後もこれが記憶されて成人や次の世代になっても継続するという考え方です。・・(中略)・・

胎児期における飢饉の影響については、オランダのコート研究でさらに驚嘆すべき事実が判明しました。胎児期に飢饉の影響を受けた子らのうち、女性については、孫の世代で出生児の身長が低く、肥満度がたかくなるというのです。一方で、母胎で基金を経験した男児が成長して父になった場合、孫にこのような影響はほとんど見られませんでした。・・(中略)・・

これらの研究成果が社会に与える影響は絶大です。親がどのように生活したかで、子の人生に影響が及ぶというのが、科学的な根拠を持って語られる時代になったわけです。・・(後略)。”

“母胎で飢餓を経験した子らが成人して中高年になったとき、統合失調症や、肥満、心臓病、糖尿病などのメタボリック症候群になりやすいこと、さらには乳がんにもなりやすいことが明らかになったのです。

出生時の体重が少ない赤ちゃんが成人し、過剰な栄養を摂取すると心臓病やⅡ型糖尿病の発症リスクが高くなることが知られています。胎児期に栄養が不足していると、飢餓に対応するための遺伝子が活性化し、これが記憶されます。これにより、成人になった際、同じカロリーを摂取しても、通常の人間より効率的に利用することが出来るようになります。飢餓のときは良いのですが、現在のように飽食の時代になると、このような飢餓に対抗する遺伝子がアダとなるというわけです。

子育てに問題が生じると、その影響が子の気質に及ぶことが知られています。たとえば、自分の子をきちんと育てない「育児放棄」の母親の子や、親からの虐待にあった子は、成長して自分が子を持った時に、同じような行動に出る傾向があります。同様な現象がマウスでも観られます。

親世代のストレスが、子の人生にも影響を及ぼしている可能性があります。このような状況が、昨今の育児放棄の増加や、児童虐待の連鎖に結びついているとしたら、大変憂慮すべき状況であると考えられます。加えて、社会的遺伝という生物学的現象が、社会の階層化や格差の固定化や拡大に、人知れず貢献している可能性も捨てきれません。

エピゲノムはDNAによる生命情報の上の階層に、新たな記憶手段を上乗せするものであると述べました。生命情報はこのように漆塗りのように多層的な記憶システムを獲得してきたと言えます。最たる例は、人間の脳ではないでしょうか。エピゲノムで実現される細胞レベルの記憶を、さらに細胞間でネットワーク化することで、高度な記憶や認知機能を獲得してきました。人間は、さらに言語や外部記憶装置、コンピューターやネットワークを生み出すことで、高度でダイナミックな情報制御システムを構築するまでになりました。

エピゲノム修飾の大半が生殖細胞で消去されるものの、一部は世代を超えて伝わるという問題点が生まれました。これにより、育児放棄の連鎖、社会階層の固定化などの、負の側面が生じる可能性も出てきたことになります。”


 

2016年6月2日木曜日

量子意識


私は、「意識(consciousness)」というものについて、次のように考える。
    意識は時間と空間を超越した存在である。
    意識は「送り手(sender)」と「受け手(receiver)」の間で交流する。
    既に生存していない人の意識は、受け手がその意識を受けようと意識すれば、その受け手に伝わる。

以下に、インターネットのウイキペディア(フリー百科事典)から“”で引用する。
量子脳理論(りょうしのうりろん)は、脳のマクロスケールでの振舞い、または意識の問題に、系の持つ量子力学的な性質が深く関わっているとする考え方の総称。心または意識に関する量子力学的アプローチ(Quantum approach to mind/consciousness)、クオンタム・マインド(Quantum mind)、量子意識(Quantum consciousness)などとも言われる。具体的な理論にはいくつかの流派が存在する。

ペンローズ・ハメロフ アプローチ
理論物理学者のロジャー・ペンローズと麻酔科医のスチュワート・ハメロフによって提唱されているアプローチ。二人によって提唱されている意識に関する理論は Orchestrated Objective Reduction Theory(統合された客観収縮理論)、または略して Orch-OR Theory(オーチ・オア・セオリー)と呼ばれる。

意識は何らかの量子過程から生じてくると推測している。ペンローズらの「Orch OR 理論」によれば、意識はニューロンを単位として生じてくるのではなく、微小管と呼ばれる量子過程が起こりやすい構造から生じる。この理論に対しては、現在では懐疑的に考えられているが生物学上の様々な現象が量子論を応用することで説明可能な点から少しずつ立証されていて20年前から唱えられてきたこの説を根本的に否定できた人はいないとハメロフは主張している。


臨死体験の関連性について以下のように推測している。「脳で生まれる意識は宇宙世界で生まれる素粒子より小さい物質であり、重力・空間・時間にとわれない性質を持つため、通常は脳に納まっている」が「体験者の心臓が止まると、意識は脳から出て拡散する。そこで体験者が蘇生した場合は意識は脳に戻り、体験者が蘇生しなければ意識情報は宇宙に在り続ける」あるいは「別の生命体と結び付いて生まれ変わるのかもしれない。」と述べている。

仏教では前世・現世・来世の因縁を説いている。真宗では絶対の真理である仏の報身仏である阿弥陀如来(阿弥陀仏)を信仰し、これに帰依すれば、現世において既に浄土に住み、来世においても浄土に住むと説いている。「この世」で正しく生きた人は、「あの世」で幸せになれる、しかし「あの世」で本当に幸せになれるかどうかは、その「あの世」での心がけ次第である、と説いている。「あの世」というのは、自分が死んだあと新しい命として生まれかわり、生きる世界である。

核DNA遺伝子による遺伝と、エピジェネティックな修飾による遺伝子の発現は自分の父母、その父母のそれぞれの父母と言うように過去を遡ったとき、その過去から伝わるものである。つまり過去世・現世・来世の三世の因縁は誰にもあるものである。

2016年4月14日木曜日

仏教の「因果応報」が証明される一例


以下の点線より下は、Windows10「マイニュー」から引用した記事の全文である。
人間は‘ヒト’という生物であり、動物である。
この‘ヒト’は、種を保存するため生物一般のメカニズムを持っている。
物事には‘原因’があり、その‘結果’がある。‘ヒト’が生物として行っていることは、動物の中で最高の知性をもつ‘ヒト’が、人間として煩悩に苦しむ報いを受ける。それも世代を超え、空間を超えて報いを受けるのである。

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【驚異の遺伝子学】昔セックスした男の遺伝子は女の体内に残り続ける!! Y染色体転移の恐怖とは?

 待ちに待った産婦人科でのご懐妊の一報から、やがて生まれてくる子どもを、人は夫婦の“愛の結晶”と呼ぶ――。だが驚くなかれ、愛に満ちた“共同作業”で生まれた新たな命は、実は夫婦だけのものではないかもしれないのだ。


■マイクロキメリズムとは?

 いきなりそう切り出されてもピンとこないかもしれないので、順を追って説明せねばなるまい……。

microchimerism1.JPG
染色体 画像は「Wikimedia Commons」より
 人間の性別を決定しているのは細胞の中にある性染色体で、男性ならXYの染色体が並び(XY)、女性はX染色体が2つ並んでいる状態(XX)Y染色体がないことはご存知の方も多いだろう。これは現代の遺伝学の基本中の基本なのだが、実は女性の中にも血液細胞や生殖細胞の一部にY染色体を持っている人がけっこうな割合でいることが徐々にわかってきている。これはどういうことなのか。

 近年の研究によって、これは「マイクロキメリズム(microchimerism)」と呼ばれる状態であることがわかり、男児を出産した経験をもつ母親に起り得る現象であると説明されている。胎内にXYの性染色体を持つ男児を懐妊していることで、母体の側に男児のY染色体が移行したケースであり、その結果女性でありながらY染色体を持ったままその後の一生を送ることになるのだ。妊娠中、母子はお互いの遺伝子に影響を与え合っており、もちろん男児の側に母の遺伝子が移ってくることもある。

 少し前まで、このマイクロキメリズム現象によってY染色体を持つことになった女性は、男児出産経験のある女性に限ると考えられてきた。男児を懐妊するという、生体レベルで男性と“異心同体”になる経験がなければ、とてもじゃないがY染色体の移動は起らないだろうと思われてきたのも尤もなことだろう。しかしさらにサンプリング調査を重ねていくと、男児を出産した経験がない女性の血液細胞からもY染色体が発見されてくるようになったのだ。こうして事態は混迷の一途を辿る……。

セックスでY染色体を獲得!?

 遡ること2004年、この謎に迫るべくアメリカの「フレッドハッチンソンがん研究センター」で、男児出産経験のない120人の女性を対象に調査が行なわれた。被験者の女性たちの血液細胞を調べてみるとやはり、男児出産経験がないにもかかわらず、21%の女性がY染色体を持っていることがわかったのだ。

 因果関係を分かりやすくするために、この21%の女性を4種類に分類してみると、さらに興味深い傾向が分かったのだ。その4分類と、Y染色体保有の割合が下記だ(3%の女性は分類不可能のようだ)

A=女児のみ出産した女性:8
B=自然流産の経験のある女性:22
C=人工流産(人工妊娠中絶)経験がある女性:57
D=妊娠をしたことがない女性:10

 流産の場合、胎児の性別が不明(あるいは確認しない)であることが多いと思われるため、BCは男児を懐妊していたかもしれず、そのぶんY染色体保有率が高いのは納得がいく。しかしなぜCBにこれほどの差があるのかはよく分からない。

 ともあれ注目すべきなのは、マイクロキメリズム現象を引き起こす要素がまったくないにもかかわらずY染色体を保有しているADだろう。そしてADY染色体を獲得するには、以下のことが考えられるという。

1.気づかないで流産した男児からY染色体を獲得(該当していた場合)

2.双子(多胎児)の男の兄弟からY染色体を獲得(異性を含む多胎児の場合)

3.兄から母体を経由して兄由来のY染色体を獲得(兄がいる場合)

4.男性とのセックスでY染色体を獲得

 残念ながらこの研究はここで終わっておりさらなる調査を未来に託すことになったが、「4.男性とのセックスでY染色体を獲得」という可能性が指摘されたのは興味深い。妊娠に到らなくとも、セックスによって相手の男性のY染色体を獲得するかもしれないというのだ。とすれば、その後に別の男性と結婚して授かった子どもに、以前セックスした男性の影響が及ぶことも有り得るということになる。


■「ウイルス進化論」とは

microchimerism2.JPG
画像は「Wikipedia」より
 ある個体の遺伝子情報の伝承は、直接我が子を生むことだけにはとどまらないという考え方も以前から注目されている。人間を含む生物はウイルスを媒介にして遺伝子を交流させお互いに影響を与え合い、一部の遺伝子情報を書き換えているというのだ。そして生物の進化もまたウイルスの感染によって起きていると考えるのが「ウイルス進化論」である。

 ウイルスが媒介になりうるのなら、妊娠には到らないにしても濃厚な粘膜の接触()を伴うセックスが遺伝子レベルの影響を及ぼさないはずがないと考えるのは真っ当なことかもしれない。

 あえて誤解を怖れずに言えば、この「ウイルス進化論」は生涯独身でいることが濃厚な男女にとって希望の光かもしれない。生殖行為を行なわなくても、なんらかの形(!?)で自己の遺伝子を後世に残せる可能性があるからだ。また、最愛の人とゴールインする夢を果たせずに結婚生活を送る女性にとっても夢が広がるものになりそうだ。なぜなら過去に愛した人の“遺伝情報”が我が身に消えることなく刻みつけられており、授かった我が子に影響を与えるかもしれないからだ。とすれば、その後別れることになるにしてもしっかり身体に記録される11回の“恋の逢瀬”が、これまで以上に大切に感じられてくるのではないだろうか。行きずりの恋、一夜の過ちなら誰でもいい、というわけにはいかないことにもなるのでご留意されたし……。

(文=仲田しんじ)

2016年2月15日月曜日

エピジェネティクス(epigenetics)


仏教が説く輪廻転生と深く関係があるかもしれない生命情報科学・遺伝学上の知見について、以下に括弧(“”)で引用する。

“エピジェネティクス(英語: epigenetics)とは、一般的には「DNA塩基配列の変化を伴わない細胞分裂後も継承される遺伝子発現あるいは細胞表現型の変化を研究する学問領域」である。
多くの生命現象に関連し、人工多能性幹細胞(iPS細胞)・胚性幹細胞(ES細胞)が多様な器官となる能力(分化能)、哺乳類クローン作成の成否と異常発生などに影響する要因(リプログラミング)、がんや遺伝子疾患の発生のメカニズム、脳機能などにもかかわっている。

<エピジェネティックな過程の例>

DNAメチル化あるいは脱メチル化により、塩基配列情報自体には変化なく遺伝子発現のオン/オフが切り替わる

メチル化・アセチル化・リン酸化などの修飾によってヌクレオソーム中のヒストンに物理化学的な変化がおき、遺伝子発現に直接的(シス型)あるいは間接的(トランス型)に影響する”(『ウイキペディア』より引用)。

“遺伝子と環境の間。氏と育ちの隙間。そこにエピジェネティックスが作用する。そして環境からの情報を取り込むことで生じた一部のエピジェネティクスは、なんと次世代へと遺伝することが明らかになってきた”(『WIRED』より引用)。

 “薬物依存症やうつ病などの精神疾患では経験を通じて染色体上のスイッチが切り替わり遺伝子の活性が長期的に変わってしまうようだ[E.J.ネスラー(マウントサイナイ医療センター)]・・・(中略)・・・現在、私たちをはじめこの分野の研究者たちは、薬物使用や慢性ストレスがエピジェネティックな変化を引き起こし、脳の反応を変えることを示す証拠を見いだしつつある・・・(中略)・・・遺伝子のほかに薬物依存症やうつ病、自閉症、統合失調症などの精神疾患の遺伝的要因について、過去数十年間の研究で未解明のまま残されている問題の答えが、これらの疾患におけるエピジェネティックな影響を調べた私たちの研究によって明らかになりつつある・・・(中略)・・・

環境要因がどのようなメカニズムで精神疾患につながるのかという疑問が浮かび上がってくる。簡単にいってしまえば答えは明白で、「生まれ」と「育ち」の両方が脳の精神細胞に作用するということだ・・・(中略)・・・経験を通じて染色体上に化学標識が付いたり取れたりすることが精神疾患症の一因となっているようだ。こうした「エピジェネティック」な標識は、遺伝子の配列ではなく遺伝子の活性を変える・・・(中略)・・・

DNAは細胞核にでたらめに詰め込まれているのではなく、糸巻きに巻かれた糸のように、「ヒストン」と呼ばれるタンパク質複合体の周りに巻き付いている。このヒストンとDNAの複合体を「クロマチン」といい、そのクロマチンが折りたたまれて染色体を構成している・・・(中略)・・・クロマチンが折りたたまれていると、遺伝子を活性化する装置が近づけず、遺伝子は不活性のままだ。・・・(中略)・・・しかしある遺伝子が必要なときは、その遺伝子のある染色体領域のクロマチン構造がある程度ゆるんで、DNAの情報をRNAに写し取る転写酵素がアクセスできるようになる・・・(中略)・・・個々の遺伝子が活性化するかしないかは、クロマチンの化学修飾によってきまるのだ。このようなエピジェネティックな変化は、化学標識を付けたり取り除いたりする様々な酵素によって生じる・・・(中略)・・・この化学修飾はほんの短期間しか続かないこともある・・・(中略)・・・しかし多くの場合は何カ月も何年も付いたままになる。一生続くことさえある。こうした長期的な化学修飾は、例えば神経の連結を強めたり弱めたりして記憶を定着させるのに役立っている。

アセチル基やメチル基などの標識が付いたり取れたりすることによって、脳は環境の変化や経験に反応して適応できている。だが、このように有益なエピジェネティックな修飾が薬物依存やうつ病ではマイナスに働くことが、私たちや他の研究室の動物実験で明らかになりつつある・・・(中略)・・・

海馬のグルココルチコイド受容体は実際にコルチゾールの産生を遅らせるよう身体にシグナルを送っているので、DNAのメチル化によってこの受容体の数が減るとストレス反応が悪化し、不安や恐怖をより感じやすくなる。この性質は生涯にわたって続く・・・(中略)・・・

エピジェネティックな修飾がほかの多くの遺伝子にも生じており、それが養育のような行動における反応プログラムに関与し、ゆえに行動様式の親から子への‘遺伝’をもたらしていることが、今後明らかになっていくだろう。


こうした状況においては、ある世代のある遺伝子に生じたエピジェネティックな変化が、生殖細胞を介さずに事実上次の世代に伝わっていくような現象が起きる。母親の行動がこの脳内の遺伝子のエピジェネティックな調節を変え、そのせいで子が母親と同じ行動を取るようになる”(『日経サイエンス誌20123月号』より引用)。

2016年1月9日土曜日

意識とは何か  ―― 阿弥陀(Amitābha)・毘盧遮那(Vairocana)との関係を考える ――


 『意識は傍観者である』(著者:avid Eagleman、翻訳者:太田直子、早川書房)に、「麻薬と呼ばれる小さな分子が持つ強い影響力を考えてみよう。この分子は意識を変化させ、認知に影響し、行動を探る」、「ホルモンも同じだ。ホルモンは血流に乗って、行く先々で大騒ぎを起こす目に見えない分子である。メスのラットにエストロゲンを注射すると交尾を求めるようになり、オスのラットのテストステロンは攻撃性を生む」、「脳の然るべき場所で活動に火が付くと、人は声を聞く。医師が抗てんかん薬を処方すると、発作はおさまって声は聞こえなくなる」、「あなたの認知経験に影響するものには、人間でない小さい生きものも含まれる。ウイルスやバクテリアのような微生物は、独特のやり方で私たちの行動を支配し、私たちの内部で目に見えない闘いを繰り広げている」と書かれている。

 意識や自分自身では知り得ない自分の心の深層の無意識は何処から来るのだろうか?上記の本には、性染色体のYを持っている者、すなわち男の犯罪率の高さについて、アメリカ国内における年間平均凶暴犯罪件数のデータが示されている。加重暴行・殺人・強盗・強姦をする者は男が圧倒的に多い。その本には「私たちが何ものであるかは、意識がアクセスできない水面下で動いていて、細部は誕生前までさかのぼり、精子と卵子の遭遇によって与えられた特性もあれば、与えられなかった特性もある。私たちが何ものになりうるかは、分子の設計図――目に見えないほどの小さい酸の鎖に閉じ込められている一種のエイリアン・コード――によって、私たちが関与するずっと前に始まっている。私たちはアクセスできない微視世界の歴史の成果物なのだ」と書かれている。

 この地球上にもやがて人は住めなくなる。人が死んだら魂はどうなるのか?そもそも人の魂はその人が生きている間だけその人に備わっているものだろうか?この魂のことを私は「意識や自分自身では知り得ない自分の心の深層の無意識」と同じものであると考える。その「意識」・「無意識」をひとくくりにし「意識」と呼ぼう。人の魂は意識そのものである。意識は人の脳の中の記憶・想像・思考・認知・言語・指令などの諸活動が統合されたものである。人はその統合された活動によって、歴史を残し、それを後世に伝えることが出来る。後世の人はそれによって歴史上の人の事績について知り、その歴史上の人が生きていた時のことを想像し、物語にすることが出来る。

それどころか、人は何万年も前の遠い先祖たちのことや、その先祖たちが生きていた時からさらにさかのぼって太古の先祖たちのことや、当時の地球上の諸現象などについても考古学・遺伝学・生物学等の諸知見を基に想像することが出来る。逆に人は自分が死んだ後の地球上のことや宇宙のことについてあれこれ想像することが出来る。意識はこのように時空を超え、広大無辺に、融通無碍に、自由自在に延伸させることができる。しかし、我々はその意識の本質を未だ知り得ていない。科学者たちは意識を科学的に解明するため頑張っているが、100年経ってもそれは完全に解明されないのでないかと考えている。私は、意識の諸現象については科学的に完全に解明されるに違いないが、意識の本質は科学的に解明できないのではないだろうか、と思っている。

私は、宇宙が人も生きものも意識も含むすべてを支配していると考える。私は、宇宙は人間の意識を超越した生命そのものであると考える。17世の哲学者スピノザは「神は自然そのものである」という汎神論哲学を編み出した。将来、新たな科学的知見に基づく自然観が「宇宙は生命そのものである」という論理を生み出すかもしれない。

仏教では、宇宙に遍満する法、すなわち宇宙に遍く満ちふさがっている真理を人々に受用させ人々を教化・指導する仏を、その性格によって三つに分けて法身・報身・応身(または化身)としている。以下『仏教要語の基礎知識』(水野弘元著・春秋社)、『世界に開け華厳の花』(森本公誠著・春秋社)を参考に記す。

法身(dharma-kāya)は宇宙に遍く満ちふさがっている真理を人格化したものであり、それは真理の体現者としての理想の仏身である。法身には「法の集積」という意味がある。因みに身(kāya)には「集積」の意味がある。信仰の対象とされる法身仏として大日(Mahā-virocana 大毘盧遮那)如来・毘盧遮那仏がある。大日如来は仏教史上ずっと後に生まれた仏である。毘盧遮那仏から釈尊(またはお釈迦さま)の側面を切り離して、宇宙の真理を象徴する仏としたものである。

報身(sambhogaya- kāya)には阿弥陀仏(または阿弥陀如来)・薬師仏(または薬師如来)・盧舎那仏がある。阿弥陀仏の説法は、時間的には前世・現世・来世の三世にわたって無限(無量寿)であり、空間的には十方にわたって無際限(無量光)であり、人々の誓願に従ってあらゆる衆生を救済するとされる。薬師仏は一切衆生の病悩や無明の痼疾、すなわち真理に暗いため久しく治らない病を持っている状態を救済するとされる。「誓願」とは誓いを立てて神仏に祈願することであるから、「わが身も心もすべて御仏に委ねることを誓いますので、どうか私を救って下さい」と心からお頼み申し上げなければ救われない。その救われ方も、本人が無欲・無心でなければ、わが身や自分の愛する人などにどのような結果が起きようと、それを素直に受け容れることはできないであろう。

「救い」とはそのようなものであると私は思う。しかし起きたことについて「それは運命である」と諦めるのとは違う。前者は幸福感・安心感に包まれるものであり、後者は不幸・不安を拭い去ることができないものである。

応身(nirmān- kāya)は化身とも訳され、教化の対象に応じて、仮にある姿を化作した仏身である。これは報身のように三世十方にわたって普遍的に存在する完全円満な理想の仏身ではなく、特定の時代や地域や相手に応じて、それらの特定の時処における特定の人びとを救済するために出現する仏陀である。釈迦仏はこの応身である。梵天・帝釈・魔王・畜生等の姿を示すこともある。観世音菩薩・地蔵菩薩・不動明王なども応身である。

大日如来は宇宙に存在する絶対神のような神格を与えてしまったほとけさまであり、阿弥陀如来(阿弥陀仏)は、時間的には前世・現世・来世の三世にわたって無限(無量寿)で、空間的には十方にわたって無際限(無量光)の説法をされ、人々の誓願に従ってあらゆる衆生を救済するとされるほとけさまである。このように仏教の教えには時空を超えて無限に延伸する光のようなものをイメージしたものがある。

宇宙は無の一点から出発し、膨張し続けている。宇宙には私たちの地球がある宇宙以外に無数の宇宙があると理論上考えられている。この地球上の現象も私たちの人生も宇宙の中で起きていることである。私は、科学者たちが宇宙を一つの生命体であると考えなければ、宇宙の中で起きている様々な現象をうまく説明することができるようにはならないのではないか、と思っている。

これは哲学的な命題である。将来、様々な知見を基に、宇宙・自然を論理的に説明することが出来るようになるかもしれない。汎神論を超えた新しい哲学が誕生することを願いつつ、私自身もこの命題に取り組んで行こうと思う。



思索・研究のために

 従来、Biglobeウエブリブログで、私自身の余生の遊び事として、「仏教と現代の自然観との連関」という題で、馬鹿げたことだと笑われそうなことを承知の上の思索・研究して記事を作成し投稿してきた。しかし、Biglobeウエブリブログでは、そのような遊び事のツールとしてそれを利用する上でいろいろ不便さを感じていた。そこで、この度このブログで仏教と科学の関係についての思索・研究を続けることにした。

 投稿する記事の内容は、『日々是支度』と一部重なるものもある。今後はこに新設するブログに書いた内容を基に、『日々是支度』に投稿する記事を作成することにする。